13、エンディングノートと終活講義・後半④
「遺言、死後事務委任ときましたので関連してペットのお話しをしたいと思います。特に高齢の方がペットを飼っている場合真剣に考える必要があります」
一気にまくし立てて講義を進める。時間が押しているのだろう。
脱線の時に話を戻さず休んでいたつけが今きている。
「要点を絞ってお伝えします。肝はペットを飼えなくなった場合のペットの行き先です。因みにペットを飼っている方はいらっしゃいますか」
「メダカを飼ってます」
「うちは熱帯魚ですよ。グッピー飼ってます。泳ぐ姿が可愛くって」
「私は金魚です。本当は犬が良かったんですが年を考えろって長男夫婦に反対されました。あれは絶対嫁の差し金よ。自分が猫派だから反対したのよ」
「私は犬を飼ってます。もう十年になりますかな」
今度は珍しく男性が答えた。
「もっとも長男夫婦と同居しているので世話は任せっぱなしですがね」
先生の顔に落胆の表情が浮かんだ。
恐らく犬や猫をペットとして飼い、飼えなくなったパターンを想定して質問したのだろう。
ところが返ってきた答えは残念ながら、メダカ、熱帯魚、金魚と魚三兄弟だ。
ここで私が飼っている三毛猫の花子の事を話すのは簡単だ。
猫を飼っている事は亜紀から伝わっている筈だが、此方を全く見ないところを推察すると敢えて触れたくないのかもしれない。
仮に私や妻が飼えなくなったとしても、猫好きの亜紀が世話をするだろう。
なら敢えて言う必要はない。
そんな事より、先生と亜紀の関係の方が気になる。
そんな事を考えている私をよそに講義は進んでいく。
「さて、気を取り直して話を進めます。ペットは多種多様です。あくまで一般的なのは犬、猫かと思います。エンディングノートには、ペットの特徴を書く欄が多々あります」
「昔ねアヒルを飼ってたのよ」
教室で最高齢とおぼしき女性がワンテンポ遅れて発言するが、先生はさりげなく聞こえない振りをする。
「勿論特徴を書くのも大事です。最近では地震や台風で自宅を離れて避難所に行かざるをえない場合があります。そんな時、短期間でも預ける相手がいる場合に先程エンディングノートに書いた特徴が役に立つかもしれません」
「金魚の特徴は何かしらねぇ。赤いって事かしら」
「水がないと死んじゃうって事よ。あとお祭りの金魚すくいかしら」
「この前、孫が亀の餌にって金魚あげちゃったのよ」
「あら嫌だ可哀想。金魚どうなっちゃったの」
「どうも何も亀の餌よ。食べられちゃったのよ」
先生は腕時計をチラッとみる。
流石にまずいと感じ始めているのかもしれない。
「金魚の話しで盛り上がっている時に恐縮ですが、一旦講義に戻らせていただきます。先ほどエンディングノートにペットの特徴を書くお話を致しました。エンディングノートの役割としてはこれで良いでしょう」
そう言うと辺りを見渡し一呼吸おいた。
「しかし最も大切な事はペットを託せるような信頼できる相手を見つける事です。人間何が起きるかわかりません。私だってそうです。準備を怠ったばかりにペットに悲劇が起きる事もありえます。例えばペットである犬や猫を残して自分が先に逝ってしまい、引き取り手がいない場合は残念ながら殺処分が待っています。ペットの引き取り手については飼い主の年齢を問わず探しておく事をお勧め致します」
先程の金魚の話をしたいた女性達は目頭を押さえている。
年齢が年齢だけに他人事ではないのだろう。
もしくは眠気を堪えているかだ。
三毛猫を飼っている私としては前者を願うところだ。
12、エンディングノートと終活講義・後半③
「皆様、今話しているのは死後の事務、つまりなくなった後の手続き全般の事です。死後、発見された時の身体の状態のことではありません。ここまでは大丈夫でしょうか」
教室の中に失笑が入り混じった。
「ここで一つ事例をあげます。例えば自分が亡くなる事を想定して葬儀とお墓について書いたとしましょう」
教室の皆が真剣な眼差しに変わった。
遺言以上に身近な問題と認識しているのだろう。
「どんな葬儀でも良いのですが、昨今人気の高い家族葬にします。次に埋蔵、つまり火葬した後の遺骨をお墓などに納骨することですが、これは人気急上昇の樹木葬とします」
反応がまばらに分かれている。
頷く人もいるが、ちょっと意味を把握しかねてる人もいる。
「今言った内容をエンディングノートに記載します。この家族葬と樹木葬を合わせて金額はどれくらいでしょうか。仮に家族葬を四十万、樹木葬を六十万とすると計百万です。これを安いと考えるか、高いと考えるかは人それぞれです。少なくとも日々の支払いに頭を抱えている私には高額です」
それなら外で飲むのを止めたら良かろう。
毎週飲んで肉や刺身を食ってたら財布の中身も寂しくなるのは想像に固くない。
「エンディングノートに書いたことが守られるがどうかは、お金の問題がクリアになるか否かが重要になります。お金の用意がなく葬儀とお墓について書いたとしても絵に書いた餅になりかねません。先程も申し上げましたが、お金の用意がなくても遺族が故人の意思、つまりエンディングノートの内相を尊重する事もあります。そういう意味も含め重要なのは残された家族と良好な関係を保っているか否かです。実際葬儀をするにせよ、お墓探しをするにせよ、結局残された人間が行います。エンディングノートは万全ではないわけです」
お通夜の様な静けさに変わった。
最前列の女性は目を瞑り首を振っている。
その後ろの女性は深々とため息をついている。
皆多かれ少なかれ問題を抱えているのだろう。
「家族が居る場合は何とかなる事もありますが。しかしこれがお一人様になるとそうはいきません。自分が亡くなった後の事を誰かに託さなければならないのです。その様な時に第三者に自分の死後の事を頼むのが先程申し上げました死後事務委任契約になります」
一つ疑問が出てきた。
「質問してもよろしいでしょうか」
「勿論ですどうぞ」
「エンディングノートには法律上の効果はない。日頃の家族との関係性を保つ事が重要だというのは分かりました。逆に家族との関係性が良ければわざわざ死後事務委任契約を結ぶ事は不要ではないでしょうか。その場合はエンディングノートでも構わないのではないかとと思いました」
「勿論不要の場合も当然あります。ここで一つ具体例を上げてみましょうか。高齢夫婦と長女がいたとしましょう。ここで父親が葬儀は不要と考えてそれをエンディングノートに残しました。それを妻も長女も納得しています。いざ亡くなった時に父親の兄からきちんと葬儀をあげろと強い口調で迫ってきた場合どうでしょう。父親の意思がエンディングノートに書いてあったとしても、父親の兄は納得できないとなると、エンディングノートでは解決できません。これがエンディングノートの限界です。勿論妻と長女が突っぱねて頑張る事もあるでしょう」
何だかため息が出てくる。
死んだ後の事は自分で決められないのか。
「先の事例では亡くなった方の兄を登場させました。更に家を出て離れて暮らしている長男が居たとして、長男も葬儀不要に反対した場合、この優しい響きをしたエンディングノートが紛争の種になりかねません」
頭が痛くなる。
「正直に言ってここまでの事を想定して死後事務委任契約を結ぶ事は、あまり多くないです。ですから今日の話をきっかけに少しずつで結構ですので御自身の現状を整理して頂けたらと思います」
何だか先が思いやられる。
11、エンディングノートと終活講義・後半②
「では次にいきます。これは遺言書程有名ではありませんが非常に重要だと考えています。死後事務委任契約です。ご存知の方いらっしゃいますか」
再び沈黙が支配する。
先程の沈黙とはまた別のものである。
散らっと周りを見回すが皆、鳩が豆鉄砲を食らった表情をしている。
「私は囲碁はやりません」
三人の男性のうち最高齢と思われる男性が呟いた。
死後と囲碁をかけたのだろうがギャグにしてはセンスがなさすぎる。
しかし誰も反応しない。
「あれっ、誰もご存じないですか。ほらっ、亡くなった後に沢山の事務手続きをする必要がありますよね。よく週刊誌で取り上げられてますよね」
私はたまたま知っているが、あまり有名ではないのだろう。
「例えば亡くなった後に行う事務手続きは山程あります。役所に提出する書類や戸籍収集、葬儀の段取りにお墓の事などです。家族がいらっしゃればどなたかがやる事になるでしょうがお一人様だとそういうわけにはいきません。そこで自分が亡くなった後の事務手続きをお願いするという契約を結ぶ事になります。この契約の事を死後事務委任契約といいます」
教室がざわめき始めた。
「そういえば、雑誌で読んだ気がするわ」
「この前テレビでやってたけど、亡くなった後に部屋を整理するあれかしら。そうそう遺品整理っていってたわ」
「でも一人で亡くなって見つけてくれたら良いけど、そうでないと大変よ」
これは脱線の予感がしてきた。
先生の方を見るとほっとした表情で壁に寄りかかっている。
先程一気に話したせいで身体に残っているお酒が回り出したのかもしれない。
ウルトラマンではないが三分が限界なのであろう。
そう言えば娘の亜紀の話しでは、海洋散骨の時も前日にお酒をたらふく飲んで船上でダウンしていたそうだ。
情けないことこの上ない。
「よく亡くなってから数ヶ月後に発見なんて聞くわよね」
「人間の体内って水分が多いっていうわよね。どうなっちゃうのかしら」
「ちょっと止めてよ。私、綺麗なまま発見されたいわ。冬ならまだしも夏に発見されたら悲劇よ」
「私聞いたことあるわ。雪山で発見された死体って綺麗なのよ」
突っ込み所満載の会話だが関わるべきではないだろう。
いつの間にか死後事務委任契約から、死体の発見の話しにすりかわっている。
確かに死後の事には変わりないが、本気で講義を聞く気があるのか甚だ疑問である。
「皆様、盛り上がっているところ申し訳ありませんがそろそろ本題に戻らせて頂きます」
そういうと咳払いを一つつき、軽くこめかみを押して周りを見渡した。
「さぁ、気合いをいれて頑張りましょう。ゴールは目の前です」
これは二日酔いで気だるい自分自身に対して気合いをいれたのだろう。
しかし口は災いの元というが今のはいただけない。
恐らくゴールとは講義の終了の事をさしたのだろうが、高齢者の集まりでゴールとなると別の意味になりかねない。
しかも今日はエンディングノートの講義なのだ。
10、エンディングノートと終活講義・後半①
それでは後半の講義を始めます。あと四十分です。そろそろ眠くなる頃かもしれません。我慢するのはお身体に良くありません。遠慮はいりませんよ。そんな時は目を瞑って頭を休めてリラックスして下さい。気持ちを楽にしてゆっくりと深呼吸して、はい、吸って、吐いて」
教室に乾いた笑いがおこる。
笑えるほど緩すぎる。
普通はあと少し頑張ってというところだろう。
もっとも無理して起きていても頭に入らないのは確かである。
顔に似合わず合理的な考えではある。
しかしこんなので本当に良いのか。
眠くならないように人を惹き付ける講義をする事は苦手なようだ。
「ではエンディングノートのデメリットをお話しします。デメリットというより注意点です。これは度々指摘される事ですが、エンディングノートには法的な効果はありません。分かりやすく申し上げますと、エンディングノートに何かを書いたとしても、必ずしもそれが実行されるわけではありません。そこを知らずに書いてしまうと、書いた方の考えと異なる結果になる事があります」
多分、遺言書の事を想定して話しているのだろう。
これは様々な媒体を通じて言われている。
「遺言書の代わりにはならないという事でしょうか」
前列の女性が問いかけた。
「仰るとおりです。遺言書の書き方は法律に定めがあります。当然エンディングノートに残しても効果はありません。勿論残された家族が故人の意思を尊重して、エンディングノートの記載通りにする場合もありますが、これはまた別の話です。ちなみに、先程皆様のお話しを聞いている際に遺書と遺言書の違いは何かとありました。大まかな違いですが、遺書は自分が亡くなる事を前提に自分の気持ちを誰かに伝える事です。それに対して遺言書とは自分が亡くなった後の財産の処理について記載する事です」
沈黙という思い空気が、眠気と相まって教室を支配する。
「今日はあくまでエンディングノートと終活全般が主要テーマですので、遺言書という個別のテーマについて立ち入ってお話し致しませんが、ご興味がありましたら講義が終わった後にでもお声がけ下さい」
私は必要に迫られて遺言書を残したのであまり悩まず書けたが、そうでないと頭の痛い問題の一つだ。
メディアで著名な資産家が遺言を残さなかったばかりに骨肉の争いが起きる事は度々耳にする。
「一つ言い忘れました。実は遺言書を残した方が方が良い家族構成がありますのでそれをご紹介します。まず子供がいない夫婦です。この場合、亡くなった方の親、兄弟が相続人となる可能性があります。今まで音信不通だった兄弟が相続をきっかけに現れ、相続分を請求してくる可能性がでてくるわけです。揉める要素としては十分です。他には子供が二人以上いる場合です。うちは大丈夫と楽観的な方も多いですが、残念ながら甘過ぎる考えと言わざるを得ません。子供が結婚している場合、その配偶者の影響力は、亡くなった親の比ではありません。それから事実婚があります。普段は問題なくとも、片方が亡くなった時に、残った方に相続権はありませんので、遺言書を残す必要性は高いでしょう」
最後に先生は私で良ければいつでもお手伝いすると言った。
お手伝いなどと持ってまわった言い方をしているが、要は依頼をおくれという事であろう。
9、エンディングノートと終活講義・休憩②
意外と言っては失礼だが、急に頼もしく見えてきた。
さて講義の後半も楽しみだと答えようとした瞬間、ちょっと失礼しますと言い残し急に部屋を出て行った。
どうやら先程の美人の職員さんが廊下を歩いているのを目敏く見つけ、金魚の糞のごとくついて行ったのだ。
いやしかし美人に弱いのにも限度というものがある。
んっ、職員さんがお菓子を手渡して笑いながら犬を追っ払う仕草をして事務所に入って行った。
軽くあしらわれたようである。
先生と同じかちょっと年上のショートカットの美人だ。
亜紀のライバル出現というところか。
先生が戻ってきた。
貴方にはプライドというものがないのか。
喉まで出かかったが止めておいた。
上手く手のひらで転がされている。
それに気付かないのか。
しかし娘の亜紀も男を見る目をもっと養った方が良かろう。
私が呆れて黙っているのに気付かず更に話し続ける。
流石にそれは言い過ぎかもしれないが、そう思わせる何かがこの人にはある。
大方資料を口実に先程の職員さんに会いに行ったのだろう。
そろそろ女性に追われるところをみてみたいものである。
まだ時間が少しあるので図書室を覗いてみたが、見事な程閑古鳥が鳴いている。
お隣のコミセンにある図書室は、駅前にあるせいかひっきりなしに利用者が来る。
時間があれば新聞でもゆっくり読みたいがそろそろ後半が始まる。
ふと背後から声が聞こえてきた。
先生と金谷さんという職員だ。
金谷さんの目が綺麗だ、ショートカットは似合いますね、エンディングノートの講義頑張ってますとか、訳わからん話が聞こえてくるが、金谷さんに早く教室行かないと遅れますよ、とたしなめられている。
やはり軽くあしらわれているようだ。
8、エンディングノートと終活講義・休憩①
先生がこちらに向かって歩いてきた。
忙しくないのは川崎家にとっては周知の事実である。
しかし何故か嬉しげだ。
今までこの種の会話は幾度となくしてきたが一度たりとも仕事が忙しいとは聞いた事がない。
そもそも仕事をやる気があるのだろうか。
摩訶不思議な方である。
そろそろ猫の手を借りたい程忙しいといった前向きな話を聞いて見たいものである。
いつになる事やら。
流石に授業中さりげなく休んでましたねとは言わなかった。
所詮二日酔いなど時間が立てば治るものである。
そのうち何かやらかしそうで心配だ。
女難の相が出ていると脅しても良いのだが効果は薄いだろう。
お酒を止められないのは私も同じである。
ここは黙っておくべきだろう。
もっとも私が考えつく位だから当然他の人も行っている事だろう。
ふと山本先生の顔を見るといやに真剣な顔をしている。
反論されるかと思いきやそうではないようだ。
先生の場合、お肌というより人生の曲がり角の方が適切であろう。
しかし反応をみると、どうやら触れてはいけない事に触れてしまったようだ。
確かに苦しい月があるとは聞いていたが、目の前のしかめっ面をした先生の顔を見ると何とか頑張ってほしいと思う。
しかしそうは思うものの、年がら年中飲み会に参加する姿を見ると自業自得なのではないかとも思う。
私が沈黙していると先生が続けて話す。
「正直今日の講座のお話しを頂いた時断ろうと思ったんです。川崎さんには時々お話ししますが、エンディングノートってあまり好きではなかったんです。好きでないというのは語弊がありますが、やはり大事な事は正式な書面で残すべきたと思います。正直、士業が取り組むべきなのか甚だ疑問でした」
「確かエンディングノートには法律の効果がないんでしたよね」
「仰る通りです。ただお話しを頂いた後何冊かエンディングノートを買って読んでみました。確かに終活に取り組む初めの一歩としては良いかもしれません。エンディングノートに取り組んだお蔭で気付く事もあります。ただ終活は一筋縄にいきません。後半ではその辺りのお話しをしたいと思ってます」
「そうそう以前から聞こうと思ってたのですが、遺言執行士の方はどんな事されるのですか。あまり聞いた事ないですが」
「読んで字の如く遺言を執行する仕事です。戸籍を集めて相続人を確定させたり、金融機関で凍結された預金をおろせるようにするんです。場合によっては、司法書士や税理士の先生達とも連係します。しかしこの遺言執行士という名称は、お世辞にも有名とは言えません。私が所属する協会もPRはしているのですが、知名度に関してはエンディングノートに押され気味です」
押され気味というより圧倒されている感じだが、土俵が違うのだし比較する必要もないだろう。
「ところで遺言執行の仕事って報酬はいいのですか」
「地域によりけりだと思いますよ。やっぱり不動産の価値で変わります。そういう意味では都心は良いですよね。それを言っても仕方ないので頑張りますよ」
7、エンディングノートと終活講義・前半④
「大変賑わっているなか恐縮ですが、そろそろ本題に入らせて頂きます。皆様のお話しをお伺いしていると、エンディングノートの作成に相当苦労されていらっしゃいますね。これは当然の事です。何故なら、あらゆる事柄が十把一絡げになっているからなんです」
そういうと先生は咳払いをして、わざとらしく間をおいて、再び同じ事を繰り返した。
「そうなんです、十把一絡げになっているんです」
言いたい事をやっと言えたという顔をして悦に入っている。
なるほど先程言いたかったのは玉石混交ではなく十把一絡げの事だったようだ。若干国語力に問題があるが、それを指摘するのは大人げないというものだ。
基本的な事ではあるが自分の名前、住所、連絡先、好きな食べ物、花、季節等は楽しみながら書いてほしいとの事だ。
健康保険証、バスポート等の保管場所は書いておかないと残された者が困るというが確かにそうだ。
重要度のレベルが上がるものとしてはアレルギーがある。
食べてはいけない食べ物もさることながら、薬剤についてアレルギーがあれば必須との事だ。
介護については地域の包括センターや、市の高齢福祉課に相談する事ができる。
但し、後見人をつける話しになったらメリット、デメリットを必ず確認する事が大事である。
また借金やローン等の債務は借入先、借入金額を含めて書いておくことが重要である。
というのも債務を負っている人に万が一の事があると返済するのは家族の可能性が高い。
更に相続するかどうかは通常亡くなってから三カ月以内にするものである。
まれにではあるがこの事を知っている業者が三カ月過ぎてから遺族に請求する場合がある。
その様な理由から残された家族としては、できるだけ早く借金の有無を知っておく必要があるのだ。
どこからか声が上がった。
誰しも家族に負担をかけたくないのは同じであろう。
最後の一言は営業トークだろうか。
6、エンディングノートと終活講義・前半③
お一人様といえばあの松坂慶子似の職員さんはお一人様なのだろうか。
あれだけの美人なのだから独り身って事はないだろうが、万が一そうなら私が気持ちを奮い立たせても良いのだが。
もうすぐ古希を迎えるが、そんな事は関係ない。
そのような不埒な考えをしている間にも講義は進んでいく。
「それではエンディングノートを完成された方は居らっしゃいますか」
今度は誰も手を挙げない。
「一つお伺いしてもよろしいですか」
前列の女性が手を挙げて質問をした。
「はい、どうぞ」
「先程先生はエンディングノートの完成と仰いました。例えば自分の名前、住所、生年月日などは直ぐに書くことができます。趣味、健康といった事も書けます。ところが書いているうちに筆が止まるところが何ヶ所かでてきます。私の場合、介護施設です。そもそも介護施設の種類もわからないですし、自分がボケちゃったらどうすれば良いのか見当も尽きません。知り合いに聞くと後見人が必要になると言われましたがどういう風にすれば後見人がつくのかもわかりません。結局難しい箇所があるとそこで筆が止まってしまいます」
私は妻の顔を見る度に箸が止まる。
隣の女性も同じように話し始める。
「そうなのよ。葬儀がどうのこうのっと書いてあるけど分からないわ。正直自分が死んだ後の事なんて興味ないのよ。とにかくお金をかけてほしくないわ」
まったくもって同感である。
最近では大分安くなったようだが、それでも葬儀費用はかなりの出費を覚悟せねばなるまい。
「そうよね。うちなんか義理の母が亡くなった時には、やれ戒名だやれお墓だって腰を抜かすくらいお金がかかったのよ。何であんなに高いのかしら」
教室の中が盛り上がってきた。
「うちなんか遺言いつ書くんだってうるさくって。なんか早く死ねっていわれてるみたいなのよ。何だか嫌な感じよね」
「あら、遺言とエンディングノートって違うのかしら。昨日テレビでなんかやってたわよ。犯人の女性が海に飛び込んだ時手紙みたいの置いてたけど。あれは何かしらねぇ」
「貴女それは遺書よ、遺書。ほら犯人が手紙に恨みつらみ書くやつよ。何だか怖い世の中になってきたわね。やだわ、この近くに犯人がいたらどうしよう」
殆ど井戸端会議である。
エンディングノートの話題がサスペンスの犯人に変わった。
しかしサスペンスの犯人が現実世界にいるわけなかろう。
本気で信じているのであれば来るべき場所はコミセンではなく病院の方がよいはずだ。
しかし会話を止めるべき先生は椅子に座って皆の方を見て難しい顔をしている。
会話の様子を見守っているように傍目には見えるが、事情を知ってる私に言わせれば単に二日酔いで休んでいるだけであろう。
吐かない事を祈るばかりである。
「あらっ、遺書と遺言ってどこが違うのかしら。だってどちらもポックリいく時に書くあれでしょ」
いやはやポックリとは品がない。
トドそっくりである。
これはうろ覚えだが、確か財産を取り決めるのが遺言で、亡くなる前に自分の思いを書くのが遺書だったような気がする。
「サスペンスに出てくるのが遺書じゃないかしら。ちょっと真面目な感じなのが遺書、じゃなくて遺言。あらっ、どっちがどっちかしら」
「どっちでも良いんじゃないかしらねぇ」
確かに紛らわしいが、どちらでも良いという事はないだろう。
だんだん話が脱線していると感じるが気のせいだろうか、などと考えていた時先生が割って入ってきた。
5、エンディングノートと終活講義・前半②
とにかく大演説だったそうで並々ならぬ気合いの入れようだったそうだ。
大方その職員さんが美人で鼻の下を伸ばしてほいほい引き受けたのが関の山だろう。
そう推察していたが先生に話しかけた職員さんは、はたして和久井映見に似た眼鏡が似合う美人だった。
自慢じゃないが娘の亜紀もトドから生まれたとは思えないくらい美人で、女優の安藤サクラに似ている。
目の前の職員さんとは真逆であるが美人である事にはかわりはない。
ちらりと横をみると先生の目尻は下がっていてなんともしまりがない。
やれやれだ。
そういえば、亜紀とよく食事に行っていると聞いていたが進展はないのだろうか。
お似合いの二人だとは思っていたが、付き合ってるとは一度も聞いた事がない。
先生の行く末も心配だが娘の行く末は更に心配である。
まぁお互い大人なので、私がとやかく言う筋合いではなかろう。
私も松坂慶子似のお気に入りの職員さんがいるから人の事は言えない。
最近では私に向かって四郎さんと話しかける職員さんが夢に出てくる事がある。
残念なことに、目が覚めると松坂慶子は消え高いびきをかくトドが隣にいる。
ままならないのが人生である。
色々仕事がたまってるのは結局趣味で忙しいわけだ。だいたい仕事に忙しい人間が週一回のお昼の歴史サークルに参加して、暇さえあれば図書室に行って本を読む事なんてできるわけがなかろう。
それでいて事務所の経営が苦しいと時々ぼやいているが当然な話しである。
一度頭の中をかっぽじって覗いてみたいものだ。
以前説明を受けた記憶はあるのだが当然思い出せない。
実際、離檀料を吹っ掛けられた時は正直墓じまいを諦めかけた。
しかし先生は、私たち夫婦にとっては息子みたいなものなのだ。
想いを紡ぐ墓じまい: in 横須賀 (∞books(ムゲンブックス) - デザインエッグ社)
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-
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4、エンディングノートと終活講義・前半①
駅の改札を抜け、久里浜方面に進み最初の信号を右折して少し進むと右手に行政センターが見える
その二階にコミュニティセンター、通称コミセンがある。
火曜サスペンス劇業を通称火サスと言うのと似たようなものだ。
ここのコミセンも最近一階と二階のお手洗いが改葬され綺麗になったのだが、それ以外は以前と同じままだ。
やはり横須賀の財政は厳しいのだから仕方ないのだろう。
しかし数年前に全面的に改装したお隣のコミセンと比較すると情けないくらいに違う。
さて横須賀には多くのコミセンがあり市民向けに数多くの講座が用意されている。
例えば、料理教室、語学講座、幼児に関する事等などである。
物忘れが激しい私にとっては、ボケる前にぜひボケ防止講座をやってほしい。
因みに今日行われているのは、昨今熱を帯びているエンディングノートを中心に、終活全般を説明する講座である。
コミセンの利用者自体が年齢の高いせいもあり教室にはそれなりの人数が入っている。
やはり皆興味がある分野なのであろう。
しかしその様相はさながら養老院である。
いや、今そんな言い方をしない。何だっけかな。
いかん、ボーとしていたら既に十分経過している。
気が付いたら講座が終わっているのでは洒落にならない。
今は集中して聞こう。
「確かに遺言書、契約書等と比較するとエンディングノートは取り組みやすいです。気軽に書店で手にすることができます。しかし私個人としては、エンディングノートを絶賛しているわけではありません。とはいえエンディングノートをきっかけに多くの終活関連の事に気づく事ができます。介護は非常に重要で身近な問題としてエンディングノートの有無に関わらず考える事ができます。しかし終活はそれだけではありません。延命治療やお墓の問題、勿論相続の問題等、問題は山積みです。大切な事はエンディングノートのメリットとデメリットをしっかり理解してそれに応じて書き分けることになるかと思います。今日の講座ではざっくりとですが、そのようなところに踏み込んでお話し致します」
傍目には高齢者の方向けにゆっくり話しているように見える。
実際、二次会まで参加した妻の由紀子の話では最後は一人で近所の焼き鳥屋に千鳥足で向かったそうだ。
講座の冒頭で自己紹介をした後、一瞬俯いて手で頭を押さえたところを見ると二日酔いなのかもしれない。
さて今日の講師は行政書士の山本先生だ。
なんでもエンディングノートの講師をコミセンの職員に頼まれたということである。