10、エンディングノートと終活講義・後半①

それでは後半の講義を始めます。あと四十分です。そろそろ眠くなる頃かもしれません。我慢するのはお身体に良くありません。遠慮はいりませんよ。そんな時は目を瞑って頭を休めてリラックスして下さい。気持ちを楽にしてゆっくりと深呼吸して、はい、吸って、吐いて」

 

教室に乾いた笑いがおこる。

笑えるほど緩すぎる。 

普通はあと少し頑張ってというところだろう。

もっとも無理して起きていても頭に入らないのは確かである。

顔に似合わず合理的な考えではある。

しかしこんなので本当に良いのか。

眠くならないように人を惹き付ける講義をする事は苦手なようだ。

 

「ではエンディングノートのデメリットをお話しします。デメリットというより注意点です。これは度々指摘される事ですが、エンディングノートには法的な効果はありません。分かりやすく申し上げますと、エンディングノートに何かを書いたとしても、必ずしもそれが実行されるわけではありません。そこを知らずに書いてしまうと、書いた方の考えと異なる結果になる事があります」

 

多分、遺言書の事を想定して話しているのだろう。

これは様々な媒体を通じて言われている。

 

「遺言書の代わりにはならないという事でしょうか」

 

前列の女性が問いかけた。

 

「仰るとおりです。遺言書の書き方は法律に定めがあります。当然エンディングノートに残しても効果はありません。勿論残された家族が故人の意思を尊重して、エンディングノートの記載通りにする場合もありますが、これはまた別の話です。ちなみに、先程皆様のお話しを聞いている際に遺書と遺言書の違いは何かとありました。大まかな違いですが、遺書は自分が亡くなる事を前提に自分の気持ちを誰かに伝える事です。それに対して遺言書とは自分が亡くなった後の財産の処理について記載する事です」

 

沈黙という思い空気が、眠気と相まって教室を支配する。

 

「今日はあくまでエンディングノートと終活全般が主要テーマですので、遺言書という個別のテーマについて立ち入ってお話し致しませんが、ご興味がありましたら講義が終わった後にでもお声がけ下さい」

 

私は必要に迫られて遺言書を残したのであまり悩まず書けたが、そうでないと頭の痛い問題の一つだ。

メディアで著名な資産家が遺言を残さなかったばかりに骨肉の争いが起きる事は度々耳にする。

 

 

「一つ言い忘れました。実は遺言書を残した方が方が良い家族構成がありますのでそれをご紹介します。まず子供がいない夫婦です。この場合、亡くなった方の親、兄弟が相続人となる可能性があります。今まで音信不通だった兄弟が相続をきっかけに現れ、相続分を請求してくる可能性がでてくるわけです。揉める要素としては十分です。他には子供が二人以上いる場合です。うちは大丈夫と楽観的な方も多いですが、残念ながら甘過ぎる考えと言わざるを得ません。子供が結婚している場合、その配偶者の影響力は、亡くなった親の比ではありません。それから事実婚があります。普段は問題なくとも、片方が亡くなった時に、残った方に相続権はありませんので、遺言書を残す必要性は高いでしょう」

 

最後に先生は私で良ければいつでもお手伝いすると言った。

お手伝いなどと持ってまわった言い方をしているが、要は依頼をおくれという事であろう。