16、エンディングノートと川崎家の夜

 

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時間はもうすぐ夜の八時。

飲み始めて一時間を少し過ぎたところで、三人とも酔いがまわっきた。

 

「お招き頂いてなんですが、しかもこんなに飲み食いして聞くのもなんなんですが、私お邪魔じゃないでしょか」

 

ほろ酔い加減の先生が呟いた。

 

「お邪魔だったら呼びませんよ。私達は大歓迎です。だいたい主人と二人で食べたってつまらないでしょ。イケメンならまだしもこれじゃねぇ」

 

そりゃこっちのセリフだ。

何が悲しくてトドの顔見て飯食わなきゃならんのだ。

しかし一言返せば二倍、三倍となって返ってくる。

だから腹が立っても聞き流す事にしている。

どこかの英語教材と同じである。

 

今日は亜紀の誕生日である。

昨日が歴史サークルの日で強引にトドが山本先生を誘ったようだ。

最初は遠慮していたが、ただ酒と肉の誘惑には勝てずやってきたという事だ。

酒は正月用に横須賀のデパートで買ったのがまだ残っている。

この勢いなら今日中になくなるだろう。

焼き鳥はいつも北久里浜で買うのだが、今日は横須賀中央の立ち食い焼き鳥を買ってみた。

旨い。

横須賀中央の駅の下で買った寿司もまた旨い。

不思議な事に人見知りの花子は先生の足元でくつろぎゴロゴロのどを鳴らしている。

ここまで他人の家に馴染める人も珍しい。

殆ど同化して空気の様な存在になっている。

 

「そろそろ亜紀が帰って来る時間なはずなんだけど、遅いわね。今更誕生日なんてってブツブツ言ってたんですよ。誕生日、頼まれもせず、やってくる。あらっ私ったら面白いわ」

 

テレビの見すぎだろうが、季語が入っとらん。

 

「でも亜紀ったらお寿司と焼き鳥があるって言ったら絶対行くって。誰に似てこんなに食い意地が張ってるのかしら」

 

トド、他ならぬお前じゃ。

一日の食べる量を考えたら明らかじゃよ。

 

「それにしても四人で食べるの久しぶりですね。こんなに楽しいなら毎日でも良いわ。早く亜紀帰って来ないかしらね」

 

恐らく二人を何とかしたいから、亜紀の誕生日にかこつけて声をかけたのだろう。

しかしこういうのは自然に任せるのが一番だと思う。

 

「ただいま」

 

そうこうしているうちに亜紀の帰宅だ。

 

「あらっ、皆飲んでるんだ。わっ、お寿司もあるんだ。あとで食べるから私の分も残しておいてね。因みにこの酔っぱらいどちら様。どっかでお会いしましたっけ」

 

確かどちら様は敬語だった気がする。

酔っぱらいで修飾させるのは誤用であろう。

 

「あっ、思い出しました。女たらしのバカ本先生」

 

「あのぅ、バカじゃなくて山です」

 

「えっ、金谷さん、金山さん、よく聞こえませんでした」

 

しっかり名字をチェックするところはトドにはできない芸当だ。

 

ボソッと小さい声で山本と答える。

 

「成る程、山ほど女性に手を出す山本さんですね。ところでご用件は何ですか」

 

可愛いそうに。

亜紀と付き合ってるわけでもないのに酷い言われようだ。

 

「亜紀、貴女いい加減にしなさいよ。祝ってくれる人がいないだろうからって来て下さったのに」

 

亜紀のコメカミがピクピク動く。

 

「亜紀さん、僕はそんな事これっぽちも言っていませんよ。勿論思ってもいません。お母さん今のはまずいですって。ほら怒ってますよ」

 

いかんトドは酔ってるし、先生も半笑いで焦っている感じがゼロだ。

 

「はいはい、そうやって二人で私をからかってればいいのよ」

 

亜紀の右目がピクピク動いている。

これはトドが怒る時と同じ症状だ。

やはり血は争えない。

 

「亜紀さん、お誕生日おめでとう。これどうぞ。自由ヶ丘で買ってきました」

 

すかさず先生が手渡す。

亜紀は甘い物に目がない。

とくにチョコレートは大好物だ。

食べ物の誘惑には勝てないようだ。

亜紀の目じりが下がる。

こういう事は当人同士に任せておけば良いのだ。

「こんなことぐらいじゃ機嫌はなおりませんよ。それに先生がどんな女性とお話されようと私には一切関係ないです。気にもしていませんから」

 

と言いながらしっかりプレゼントをバッグにしまった。

亜紀も言ってる内容が矛盾している。

気にしていないのに何故機嫌がわるいのか。

しかしそれはこの際どうでもよい。

私も年とともに多くの事を忘れていくに違いない。

せめて二人のやり取りは忘れずに、記憶の奥にとどめておきたい。